東京高等裁判所 平成10年(う)2047号 判決 1999年12月03日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人堀合辰夫、同中嶋公雄及び同松田豊治連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官古崎克美作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する(弁護人は、控訴趣意書第八は陳述しない旨述べた。)。
論旨は、要するに、原判決は、被告人が証人として宣誓の上、原判示第一及び第二の各民事訴訟において、株式会社あさひ銀行(旧株式会社協和埼玉銀行、以下「銀行」という。)が株式会社ニューマテリアル(以下「ニューマテリアル」という。)に二五〇〇万円のつなぎ融資をするに当たり、ニューマテリアルの債務保証人となった甲野一郎に対し、包括根保証の意義について説明した上、その責任を負担する意思を有するかどうかの確認をしたか否かにつき、そのような事実はないのに、説明をし、確認をしたなどと自己の記憶に反する証言をした旨認定したが、被告人は甲野一郎に対し、実際包括根保証の意思確認を行っていたのであるから、この点において原判決の認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。
そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討するに、原判決がその挙示する関係証拠によって原判示第一及び同第二の各事実を認定したことは、結論において正当として是認することができ、その他の証拠及び当審における事実取調べの結果を合わせて検討しても、原判決の右認定に所論指摘のような事実誤認があるとは認められない。以下、敷衍して説明する。
一 本件に関する経緯及び背景事情について
1 本件に関する経緯などについては、関係各証拠によれば、以下の各事実が認められる。
(一) ニューマテリアルは、甲野二郎(以下「二郎」という。)を代表取締役とする株式会社であるが、平成二年四月、銀行に銀行取引約定書及び代表取締役である二郎の保証約定書(包括根保証)を差し入れて取引を開始した。平成三年当時、被告人は、銀行の岩本町支店融資課長の職にあり、乙川三郎(以下「乙川」という。)はその部下で、ニューマテリアルを担当していた。
(二) 二郎は、ニューマテリアルの資金繰りに窮したことから、平成三年八月上旬ころ、岩本町支店融資課長であった被告人に対し、二郎の実父である甲野一郎(以下「一郎」という。)が所有する山口県下松市北斗町所在の不動産を担保として差し入れる旨申し出て、同月末ころにおける決済資金三〇〇〇万円の融資方を依頼した。
(三) 被告人は、同月一九日、乙川を同行して国民金融公庫東京相談センターに赴き、担当者に対し、(二)記載の担保物件が遠隔地にあること等を理由に、銀行に代わってニューマテリアルに融資をして欲しい旨申し込んだ。
(四) 乙川は、同月二三日、二郎を国民金融公庫大手町支店に同行した際、同人に対し、ニューマテリアルへの融資は国民金融公庫が実行するが、同会社の同月末ころの手形決済に間に合わないので、銀行がつなぎ融資をする旨告げ、二郎は、同日、国民金融公庫に融資を申し込んだ。
(五) 同年九月二日、銀行はニューマテリアルに対して二五〇〇万円のつなぎ融資(以下「本件つなぎ融資」という。)を実行したが、被告人はこれに先立ち、二郎に対して、包括根保証を内容とする保証約定書の用紙を手渡し、一郎の署名押印を得るように指示した。二郎はこれに従って、右用紙を一郎に郵送し、同人の署名押印を得た上で、被告人に差し入れた(なお、一郎が右用紙に署名押印した時期と本件つなぎ融資実行の前後関係は、本件全証拠によっても確定できない。)。
(六) 国民金融公庫は、同月二七日、ニューマテリアルに対し、三〇〇〇万円の融資を実行し、二郎は、同月三〇日、銀行に対し融資を受けた二五〇〇万円全額を返済した。
(七) ニューマテリアルは、平成四年に入ると経営が更に悪化し、銀行は同会社に対する債権を保全するために、同年五月二一日、被告人が二郎を伴い、山口県徳山市内の病院に入院していた一郎のもとを訪れて、一郎が所有する同県下松市北斗町<番地略>の土地につき、銀行を根抵当権者、ニューマテリアルを債務者、極度額を一億円、被担保債権の範囲を銀行取引等とする根抵当権設定契約の締結を一郎に承諾させ、同日中にその登記手続が経由された。しかし、その後、ニューマテリアルは、同年六月下旬に二回の不渡り手形を出して倒産した。
(八) 同年八月二七日、一郎は銀行を被告として、(七)記載の根抵当権設定登記の抹消登記手続等請求訴訟(山口地方裁判所下関支部平成四年(ワ)第二一七号)を提起したが、被告人は、平成五年四月二八日及び同年七月二一日の両日、山口地方裁判所下関支部において、右事件につき証人として宣誓の上、銀行がニューマテリアルに対し二五〇〇万円の本件つなぎ融資をした際、これに関連して一郎がした保証の趣旨等に関して、「自分は一郎に対し、電話で、本件保証約定書の内容が包括根保証であることを説明した。」、「自分は一郎に対し、同じ電話で、包括根保証の意思確認をした。」旨証言した。
(九) 右民事訴訟については審理の途中で、銀行が一郎を反訴被告として、保証債務履行請求事件(同裁判所下関支部平成五年(ワ)第二九九号)を提起し(以下、本訴と反訴を合わせて「本件各民事訴訟」という。)、被告人は、平成六年二月二三日に同裁判所下関支部において、証人として宣誓の上、(八)記載と同様の事実に関して、「自分は一郎に対し、電話で、本件保証約定書が過去及び将来の分も含めて全体の包括根保証であることを説明した上、一郎が包括根保証を行う意思を有するという確認をした。」旨証言した。
(10) 本件各民事訴訟については、同年八月三一日、本訴について原告(一郎)一部勝訴、反訴について反訴原告(銀行)勝訴の判決が言い渡され、一郎が控訴したが、同七年六月三〇日広島高等裁判所で控訴が棄却され、更に、一郎が上告したものの、平成八年二月二三日、上告が棄却されて一審判決が確定した。
以上の各事実が認められる。
2 右認定の経緯等によれば、一郎と銀行との間の本件各民事訴訟において、被告人がそれぞれ宣誓の上で、銀行がニューマテリアルに二五〇〇万円のつなぎ融資を行った際、被告人において同会社の債務保証人となった一郎に対し、同会社のすべての債務について包括して根保証をする意思を確認した旨の証言をしたことは明らかであるところ、問題は、被告人が一郎に対して、当時本当に右のような確認をした事実があったか否かであって、その点が中心的な争点である。
二 マイクロカセットテープ(東京高等裁判所平成一〇年押第五〇五号の5)における被告人の発言について
1 本件における証拠関係の特徴は、被告人が、本件各偽証を自認したとも評価し得るマイクロカセットテープが存することであり、検察官立証の柱の一つになっているので、まずこの点から検討する。
右テープを再生して見分してみると、乙川との会話の中で、被告人は、「自分は、銀行を首になったら甲野の方に立って証言してやる。それは実態を証言するだけだ。自分は、保証の意思確認はしたが、包括の意思確認はしていない。前の証言は、銀行の指示によると言えばよい。偽証罪は、自分が調べたところでは、昭和二〇年以降で二件しかない。ついうっかりしましたと言えば偽証罪にはならない。」などと発言していることがその録音内容自体に照らして明らかである。
そして、前記一、1で認定した本件各民事訴訟を含む紛争の経緯、背景事情のもとにおいて、右テープの内容を聞くときは、それが録音された経緯、録音の状況などに格別の疑問点がなければ、右テープの内容のみをもってしても、被告人が本件各民事訴訟における証人尋問に際して、自己の記憶に反することを認識しながら、当時勤務していた銀行を勝訴させるために、それぞれ記憶に反する証言をしたことが強く推認されるというべきである。
2 乙川証言の信用性について
乙川は、マイクロカセットテープに被告人の発言を録音した経緯などにつき、原審公判廷において、「自分は、平成四年九月一六日付けで銀行を退職したが、そのころ、銀行と一郎との間で本件つなぎ融資の不動産担保に関して民事訴訟が起こっていることを聞いた。退職後も被告人との付き合いは続いていたが、同七年一月二七日に被告人から自分宛に、本件各民事訴訟の一郎側準備書面がファックス送信されてきたことがあった。翌日、会ったとき、被告人は「自分は、一郎に対し、二五〇〇万円の融資に関する保証意思については確認したが、ニューマテリアルの債務全部につき包括的な保証をするかどうかの点は確認していない。」と話していた。自分は、これ以前より、二郎から本件各民事訴訟への協力方を依頼されていたところ、時期は失念したが、二郎に被告人の発言内容を伝えると、二郎は、被告人との会話を録音するように依頼してきた。躊躇もあったが、何度も頼まれてこれを承諾した。そして、同年七月ころ、被告人と数回会って話をしたが、このとき被告人は、再度、「この裁判の件で私が本当のことを言えば銀行は負ける。私は一郎に対し、保証の意思は確認したが包括の点は確認していない。」旨述べたので、自分は右会話の一部をマイクロカセットテープに録音し、これを二郎に渡した。」旨証言し、当審公判廷でも右証言を維持している。
そこで、乙川証言の信用性について検討するに、同人は、銀行のつなぎ融資に関連して一郎が保証した際、その保証意思そのものについては確認したけれども、ニューマテリアルの債務全部につき包括的な保証をする意思かどうかの点は確認しなかったとの話を被告人から聞いたこと、その後日付けはよく記憶していないが、そのことを二郎に話したこと、そして同人から被告人との会話を録音するように依頼されてマイクロカセットテープを渡され、テープ録音したことなどについて、とりわけ被告人との会話の内容自体は明確に記憶しているとして、自己が記憶をしている部分と然らざる部分とを区別しながら、具体的に供述しており、その供述するところは全体として自然な流れとして理解できるものであって、格別不自然なところは見当たらない。しかも、弁護人の種々の角度からの反対尋問によっても動揺しておらず、原審のみならず当審を通じてみても一貫したものである。また、秘密録音をした気持について同人が述べるところは、自己の証言で裁判の帰趨を変えられるかのごとき被告人の発言には反感を持ったが、一方で、世話になっていた被告人に秘密でテープ録音をしたことについては罪悪感もあるなどというのであって、素直な証言態度が窺われることも、同証言の信用性を高める方向で評価することができる。
更に、重要なことは、右証言内容は、関係証拠によって認められる、被告人が平成七年一月二七日乙川にファックスで準備書面写し(原審甲29号証中の資料<2>)を送信していること、前述のとおり被告人が乙川に対して自己の偽証行為を自認していると評価できる本件録音テープが存在することなどとよく符合するものであって、重要な点で客観的な事実によって裏付けられているのである。以上の検討によれば、乙川の原審及び当審公判廷における証言は高い信用性が認められる。
所論は、乙川は原審公判廷において、一郎に対して保証意思の確認をした際、包括根保証の意思の有無までは確認しなかったとの話を被告人から聞いた時期について、検察官の主尋問に対しては平成七年一月二八日だと証言したものの、弁護人の反対尋問によりこれを撤回しているのに、原判決が主尋問に対する答えに依拠して事実認定をしているのは不当であると主張する。しかし、乙川の原審証言を検討すると、主尋問に対する証言は相当に具体的である反面、この点に関する弁護人の質問が、乙川が被告人から右の話を聞いた時期に関する質問なのか、二郎からマイクロカセットテープへの録音を依頼された時期に関する質問なのか判然としないものであるため、それに対応して乙川はこれらを混同して答えているのではないかと窺われる節もあって、必ずしも主尋問における証言を撤回したと断定できるものではないから、所論は採用できない。
そして、以上検討したところを総合すれば、平成七年一月二八日ころ乙川は被告人から、本件つなぎ融資の前後に一郎から徴求した保証につき包括根保証であることの確認まではとっていないとの話をされたこと、その後乙川は二郎にそのことを話し、同人から、このことに関してテープ録音を依頼され、当初は断ったものの、二郎に対する同情の気持もあって録音を引き受けたこと、録音に関しては乙川と二郎の間に格別報酬等の約束はなかったこと、また録音の方法も特に欺罔的な手段はとっていないこと等が認められる。そうすると、乙川の右証言はそれ自体、被告人が本件各偽証をしたことを推認させるものであるが、それと同時に録音の経緯、状況には格別問題がなかったことを証言するものとして、録音内容の信用性を補強する意味も持ち、要するに、右証言と前記マイクロカセットテープとは相互に信用性を補強し合っていて、両者を総合すれば被告人が本件各偽証を行ったことが強く推認されるのである。
3 所論は、本件マイクロカセットテープは、被告人の同意なしに、しかも金銭授受の約束のもとに録音されたものである上、乙川が様々な手段を用いて被告人に偽証を自認するかのような発言をさせようとしていたことに照らせば、証拠能力を否定されるべきであると主張する。しかし、右テープは、捜査機関と全く関係のない一私人である乙川が録音したものであり、相手方の同意がないからといって、それだけで証拠能力が否定される性質のものではない上、二郎が録音に関して乙川に金銭を支払う旨の約束をしたとの点については、これに沿う的確な証拠は存しない(乙川は当審証言でこれを明確に否定している。)し、また乙川が被告人に偽証を自認させようと仕向けている様子がないことは、本件テープの内容自体に照らして明らかであり、かえって両名の会話は被告人が主導的であって、問題の発言部分は、両名の会話の自然な流れの中で任意になされたものであることが認められるから、所論は採用の余地がない。
次に所論は、(1)被告人は、マイクロカセットテープの中で、「偽証罪は、昭和二〇年以降で二件しかない。ついうっかりしてしまったと言えば、偽証罪にならない。」などと述べているところ、法律の素人である被告人が偽証罪の検挙数を調べることなどできるはずがなく、これは被告人に偽証行為を自認させるかのような発言をさせようとしていた乙川がいろいろと吹き込んだ結果であり、また、(2)銀行から解雇処分を受けかねない状況に置かれていた被告人が、酒の酔いもあって、解雇処分になれば銀行に弓を引きかねない趣旨で、事実と異なる発言をしたにすぎない、として本件テープの信用性はないと主張する。
しかし、(1)の点については、録音されたテープの内容自体が、被告人において「自分が調べたところでは」と述べているものである上、両名の会話の中に乙川が教示したことを窺わせるような様子は全く認められない。(2)の点についても、被告人と乙川との会話状況が円滑で、内容的にも不自然なところがないことは、本件テープの内容自体に照らして明らかであるから、被告人が酒の酔いのため判断能力が低下していたなどとは認められず、また、被告人の発言が所論の主張するような趣旨のものではなく、被告人の当時の認識と記憶をそのまま述べたものであることは、本件テープの内容自体により明らかである。所論はいずれも採用できない。
三 一郎の原審証言について
次に、被告人が、一郎に電話した際に同人に対して、本件保証契約はニューマテリアルの銀行に対する現在及び将来の一切の債務につき包括根保証をするものであることの説明をし、その意思確認をしたか否かの点について、直接の当事者である一郎の原審証言と被告人の供述を対比しつつ検討する。
1 一郎は、この点について、原審公判廷において、原判決の認定に沿う証言をしているが、その要旨は、「時期は明確でないが、二郎から電話で本件つなぎ融資につき保証して欲しいと頼まれ、これを承諾した。その後、本件保証契約書の用紙を送ってきたので、その保証人欄に署名押印した上、これを二郎に送り返した。平成三年九月ころと思うが、二郎から電話があり二五〇〇万円の融資につき銀行の担当者である被告人から保証意思確認の電話が入るのでよろしく頼むと言われ、その日のうちに被告人から実際に電話があったが、「二郎から二五〇〇万円の融資の申込みがあったので、その保証をお願いします。」という内容だったので、二郎が事前に知らせてきた金額と一致していたことから、保証に同意すると答えた。その際、被告人から、当該保証が包括根保証であるとの説明やその意思の確認は全く受けておらず、電話で話したのは僅かの時間であった。」というものである。一郎は、時期の点については明確でないと証言しているので、これに関する二郎の原審証言をみておくと、その要旨は、「平成三年八月二二日に銀行側から国民金融公庫からの融資の件を聞いたが、翌二三日、国民金融公庫からの帰りに被告人から本件保証約定書の用紙を渡された。そこで、その日のうちに一郎に電話して本件つなぎ融資につき保証を依頼したところ、承諾してくれたので、その後、本件保証約定書の用紙を送付した。一郎からは、すぐに署名押印した保証約定書が返送されてきたが、しばらく自分の手元で保管して、銀行からつなぎ融資を受けた同年九月二日から約一週間後に被告人に手渡した。その二、三日後に、被告人から、一郎の保証意思確認のため電話をかけるとして、一郎の電話番号を聞かれたので、それを教えるとともに、被告人から保証意思確認の電話がいくので、よろしく頼むと一郎に電話しておいた。その後、一郎に電話して被告人から電話があったことを聞いた。」というものである。
これに対して、被告人は、捜査段階から一貫して、「自分は、一郎に対し、平成三年九月二日午後一時半ころ電話をかけ、「協和埼玉の丙山でございます。いつもお世話になっております。先日お渡しした書類ですが、読んで頂いたとおりの保証になります。現在及び将来負担する一切の債務の保証ですが、よろしいでしょうか。」などと言って包括根保証の意思確認を行った。」旨供述している。
右のように一郎の原審証言(これに符合する限度における二郎の証言も)と被告人の供述とは、正面から対立するものであるところ、両者は利害が真っ向から衝突する関係にある上、本件各民事訴訟においても、原告・被告(被告人は、被告であった銀行に準じる立場の者だといってよい。)として争ってきた経験も存するので、その証言ないし供述の信用性については慎重に吟味しなければならず、とりわけ客観的な証拠との整合性を重視する必要がある。
2 ところで、本件保証契約締結に関わる事情については、関係証拠によれば、
(一) 本件保証約定書の用紙は、作成年月日欄、保証人及び債務者の住所・氏名・押印欄だけを空欄にした上で、本文及び関係条項が細かい不動文字で印刷されたものであり、本文には「保証人は、債務者が別に差し入れた銀行取引約定書に規定する取引によって貴行に対し現在および将来負担するいっさいの債務について、債務者と連帯して保証債務を負い、その履行については前記の約定書の各条項のほか、次の約定に従います。」と記載され、第1条から第3条までの条項が書かれ、下部の銀行使用欄の下に「包括根保証用☆3.4(貸31C)(25031)冊(50)<7>」と印刷されていること
(二) ニューマテリアルは平成三年七月には資金繰りが逼迫し、二郎は、資金繰りに苦慮していたが、同会社の銀行に対する債務は、総額で約一億八〇〇〇万円であったこと
(三) 一郎は、本件の発端である平成三年七月ころ、満五九歳であったが、その主な資産としては山口県下松市北斗町<番地略>の土地(以下「<番地略>の土地」という。)及びその地上建物があり、建物一階及び土地の一部を駐車場として賃貸し、その賃料収入で生計を営んでいたこと
(四) <番地略>の土地については、同年八月一九日に<番地略>一と<番地略>二に分筆され、更に、翌年六月五日に<番地略>一の土地が、<番地略>一と<番地略>三に分筆されていること
(五) 銀行側の事情についてみると、国民金融公庫からニューマテリアルに対する三〇〇〇万円の融資はほぼ確実な状況であり、したがって銀行の同会社に対する二五〇〇万円のつなぎ融資の返済については格別の不安はなく、右つなぎ融資そのものに関連して、この時点で一郎から包括根保証まで得なければならないような事情には必ずしもなかったと思われること
以上の各事実が認められる。
3 右2、(一)でみたように、本件保証約定書の記載を読んだだけでは、被担保債務の発生原因たる取引内容について全く知ることができないばかりか、一読して保証人がいかなる債務を負担するのかが一般人に分かりにくいものである上、そもそも法律専門家でもない限り、包括根保証の意味を正確に理解するためにはある程度時間をかけて丁寧な説明を受けなければならないことは公知の事実といってよいところ、右2の(一)ないし(三)の事実にかんがみると、一郎においては、細かい不動文字で書かれた本件保証約定書の内容を熟読しないまま、あるいは同約定書の内容を十分確認しないで二郎から言われるままに、鉛筆で囲まれた保証人欄に住所・氏名を書き込み押印してしまい、その延長線上において被告人から電話で保証意思の確認を受けた際、二五〇〇万円のつなぎ融資に関する個別保証だと思って「お願いします。」などと言って保証することを承諾した旨証言するところは、当時一郎が置かれていた状況に照らすと、それなりに理解し得るもので、十分あり得ることだということができる。
また、銀行が一郎との間で締結したと主張する包括根保証契約なるものは、一郎においてニューマテリアルが銀行に対して負担する同保証契約締結時及びそれ以降の債務一切を保証するものであり、保証人である一郎が知らないうちに債務が無限に増大する可能性があるもので、本来的に保証人にとっては経済的に破滅するかもしれないおそれを内包する性質のものであり、したがって会社の代表取締役等が会社の債務につき包括根保証をするような場合(前記一の1、(一)認定の二郎の保証はその例である。)はともかくとして、一郎は同会社の経営者であった二郎の実父であり、形式上は同会社の役員だったとはいえ、その経営には実質的には全く関与していなかったのであるから、自己の全財産を失うおそれもある包括根保証契約の締結に容易に応じるとは考え難いところである。しかも、一郎は、検察官調書(原審甲9号証、一部同意書証として取り調べられたもの)において、「平成三年七月、二郎から、会社の資金繰りが苦しいので、担保として使えるように<番地略>の土地を分筆して担保に入れさせてくれ、と強く頼まれた。その土地の約半分には自分と妻が住んでいる建物が立っており、これを銀行にとられたのでは生活ができなくなってしまうが、残り半分は駐車場として使っているので、万一銀行に取られても今後の生活に差し障りはなかったので、その駐車場にしている土地の一部を分筆して担保として使わせてやれば、二郎の窮地を救ってやれると考えた。そこで、二郎の弟にも相談し、その了解を得た上で、自分と二郎で司法書士の所に行って分筆手続を依頼した。二郎が三〇〇〇万円もあれば急場がしのげると言っていたことから、<番地略>の土地のうち、建物の反対側から約四〇坪弱を<番地略>二の土地として分筆を行った。こうして二郎は、<番地略>二の土地を担保に金融機関から借入れをする手続を進めた。」などと供述しているところ、これは右2の(三)、(四)により裏付けられているばかりでなく、前記一、1の(二)ないし(四)認定の当時の状況に照らしてもよく納得できるものであり、このように平成三年七月から八月ころにかけての時期に、自己の財産の一部については二郎のためにいわば投げ出してもよいとしながら、一部については自分と妻の生活のために確保しようと意を用いていた一郎であってみれば、本件つなぎ融資に関連して被告人と電話で話をした際、自分がこれからする保証の趣旨について、包括根保証である旨の説明を受けたとすれば、特段のやりとりもないまま、これを承諾することは理解しにくいものといわざるを得ない。
以上にみたように、一郎が被告人からの電話の際、もし締結予定の保証が包括根保証であるとの説明を受けたとすれば、自己が負担することになるであろう責任の内容等につき説明を求めるなどして、容易にはこれに応じなかったのではないかと考えられるにもかかわらず、被告人と一郎とのやりとりは、格別議論になったり、一郎において質問をしたりすることもなくごく短時間で終わった(この点は、一郎の原審証言と被告人の供述が一致する。)というのであるから、このことは被告人が一郎に対して単に保証意思の確認のみを行い、包括根保証について何ら説明をしなかったことを強く推認させるものであるといわなければならない。
他方、被告人の供述については、一郎の保証を得る件は本件つなぎ融資を巡る被告人と二郎の一連の交渉の中で出てきたものであることは明らかであるところ、右2、(五)認定のとおり、銀行側としてこの時点で、一郎から本件つなぎ融資に関する個別保証を超えて、包括根保証までとらなければならないような特段の事情はなかったものと思われることにそぐわないものであり、その点で疑問が残るといわざるを得ない。加えて、関係証拠によれば、平成三年九月二日付けで実行された本件つなぎ融資に関する貸出稟議書には、本件保証約定書徴求の事実につき全く記載が存しないこと(原審甲35号証)、当時岩本町支店の支店長であった丁田四郎も、同支店でニューマテリアルの担当者であった乙川も、右融資実行のころ本件保証約定書を徴求したことを全く認識していなかったこと、本件保証約定書は二郎が被告人に手渡して以後平成四年五月二一日ころまで、約八か月以上もの間、同支店のコンピュータに担保登録されていなかったことなどの各事実が認められるところ、これらの事実は被告人が一郎に対してその保証が包括根保証であることを説明しなかったことに直接結びつくものではないものの、本件保証約定書に関する右一連の不自然な取扱いは、被告人が一郎から右約定書を徴求するに際し、正規でない取扱いをしたことを窺わせるものであることは明らかで、この意味で一郎の原審証言を支えるものと評価し得る反面、これらは被告人供述の信用性を減殺するものである。
以上の検討によれば、一郎の原審証言は、被告人供述との対比においては、より高い信用性を有するものと評価すべきである。
4 所論は、原判決が、「補足説明」欄の第二の二において、一郎と二郎の原審各証言の要旨を併せて摘示し、両者をいわば一体のものとしてその信用性を検討し、これを肯定していることを前提とし、二郎の証言を取り上げ、同人の証言には、本件保証約定書添付の印鑑証明書の日付け、本件つなぎ融資に関する稟議書の記載などの事実に照らして、不自然、不合理な点があって信用性がなく、ひいては一郎の原審証言にも信用性がない旨主張する。
しかし、被告人がニューマテリアルの債務保証人となった一郎に対し、包括根保証の意思確認を行ったか否かという本件の争点を判断する上で直接の検討対象となるのは、既にみてきたとおり、直接の当事者である一郎の原審証言と被告人の供述であり、二郎の原審証言は、一郎のそれを評価する上で必要な限度、すなわち、二郎の原審証言中にその信用性を減殺するような事情があった場合、これが一郎の証言に影響を及ぼすかどうかの観点から検討すれば十分であるから、この点は後に検討することとして、まず、所論主張の、平成四年五月二一日に被告人が一郎と面談した際(前記一の1、(七))、一郎が銀行の包括根保証を入れている話が出ても、当の一郎本人から被告人に対しクレームなど一切なかったことは、一郎が原審証言で述べるところであり、このことは一郎がその意思に基づいて包括根保証契約を締結したことを示すものであるとの点について検討するに、原審記録中の一郎の証言を精査しても、一郎が所論主張のような供述をしている部分は全くないのであるから、所論は前提を欠いている。もっとも、二郎の原審証言中には、その際に本件保証約定書の話も出ていたとの部分があるが、仮にそのようなことがあったとしても、一郎は当時悪性リンパ腫で入院中の身であり、しかも同席していた二郎から一億円の根抵当権の設定を懇願されていた状況にあったのであるから、一郎がそのことを深く意識することなく反論しなかったからといって、そのことは同人が本件包括根保証を承諾していたことを示すものとはいえず、所論は採用できない。
次に所論がいう、二郎の原審証言に信用性がないとの点についてみるに、所論は次のようなものである。同人は原審公判廷において、(1)平成三年八月二三日に被告人から本件保証約定書の用紙を受け取り、一郎に本件二五〇〇万円のつなぎ融資に関する保証を依頼するとともに、印鑑証明書をとってくれるように頼んだ旨証言するが、これは原審甲47号証によって明らかな本件保証約定書添付の印鑑証明書が同月二二日付けである事実に矛盾している、(2)本件つなぎ融資に関する稟議書の記載などによると、銀行内部でも三〇〇〇万円の融資額で手続が進んでおり、ニューマテリアルに対する融資額が二五〇〇万円に決まったのは、同月二九日のことなのであるから、二郎が、一郎に保証書の用紙を送付して保証依頼をしたのが同月二三日ころだというのは、客観的事実に抵触しているなどとして、二郎の原審証言には信用性がない、というのである。
しかし、(1)の点については、確かに、印鑑証明書の日付けと対照すれば、右の点に関する二郎の証言は、誤った内容のものであるというべきであるが、二郎証言の骨子は、同年九月二日の本件つなぎ融資の実行に先立って、被告人から右融資に関連するものとして本件保証約定書の差入れを求められた二郎において、一郎に保証依頼をして署名押印の上返送されてきた同約定書を、それまでに一郎が取得していた印鑑証明書とともに、被告人から要求のあった同月一〇日ころに渡したという経過を時系列で述べるものであるところ、右証言がなされた時期は、事柄のあった時からは約七年を経過している(捜査段階で検察官に対して本件に関して供述した時点でさえ、事柄のあったときからは六年余りを経過している。)こと、本件当時、二郎は常態的に資金繰りに追われていたが、同人は一郎から一郎所有不動産の一部につき担保に供することの同意を得ていて、二郎の一郎に対する印鑑証明書の取得依頼は本件の一回だけではないことが十分推認されることなどの諸事情を踏まえて考えると、印鑑証明書の取得ないしその時期という、本件保証約定書との関係では付随的といえる事柄について誤りや勘違いがあったからといって、二郎が証言する事態の経過に影響を及ぼすものではなく、また、(2)の点については、銀行のニューマテリアルに対する融資額が三〇〇〇万円から二五〇〇万円になる経緯においては稟議書や決済指令書といった正規の書類に現れたところのみで判断することはできず、事前の関係者による交渉や根回しなどを通じて金額が決まり得ることは自明の事実であるから、これらの書面だけに依拠して本件つなぎ融資額が二五〇〇万円に決まったのが八月二九日であるとして論難する所論は採用できず、以上、いずれにしても二郎が証言する事態の経過は大筋においてこれを肯定できるのであって、所論指摘の点は一郎証言の信用性に影響を及ぼすものではなく、所論は採用できない。
更に所論は、本件保証約定書の銀行内での取扱いにつき、本件つなぎ融資に関する稟議書に右約定徴求に関する記載がないのは、稟議書作成の時点(平成三年八月二六日)で右約定書が銀行に届いていなかったために記載できなかったにすぎないし、また銀行が本件つなぎ融資を実行してから八か月以上も一郎の包括根保証がコンピュータ登録されないままであったのは、銀行岩本町支店の単なるミスであり、原判決が不自然な取扱いとして指摘する諸点にはそれぞれ事情があるから、原判決の判断は誤っていると主張する。
しかし、原判決は、稟議書の記載等個々の事実を個別的に問題にしているのではなく、前記稟議書に本件保証約定書徴求に関する記載が全くないこと、保証約定書受入れの際に通常作成されるべき一郎の個人信用調書が作成されていないこと、本件つなぎ融資の実行から八か月以上もコンピュータ登録がなされなかったことなど一連の事態を全体的に評価して、本件保証約定書が不自然な取扱いをされていたとしているのであり、関係証拠に照らして右判断は支持することができるものであるから、所論は失当である。
四 被告人の供述について
被告人供述の信用性に関しては、これまで必要な範囲で触れてきたが、本件における主要な争点と密接に関連する一郎から本件保証約定書を徴求した理由に関しては、その供述に変遷がある。すなわち、捜査段階当初の検察官による取調べに対しては、平成三年八月の本件つなぎ融資については、本店の松本審査役から猛反対されたが、一郎の保証をつけることで本店を説得して実行することになった、と述べていたが、その後の検察官による取調べでは、一郎の保証は銀行の内規に基づく当然のものとして徴求した、本来であれば保証を徴求したことは稟議書に記載すべき事柄であるが、あまりにも当然のことだったので、記載を忘れ、本店に報告することさえ忘れていたものである、などと供述を変更し、更に、原審公判廷では、融資稟議の時点で、一郎から本件保証約定書を徴求できるか否かは不確実だったので、敢えて稟議事項から外して本店にも報告しなかった、それでも稟議は通るだろうと思っていたなどと、またもや供述を変遷させている。
また、被告人は、当初誤った説明をした理由として、本件保証約定書を受け取ってから六年以上も経っていたので記憶が曖昧になっていたとか、はっきりした記憶はなかったが、何か言わないと検察官が帰してくれない雰囲気だったなどというけれども、一郎の保証が本件つなぎ融資の条件になっていたかどうかは極めて重要な問題であり、当時銀行員であった被告人が検察官から偽証の容疑で取調べを受けている場面で記憶違いなどをするとは容易に考え難い上、身柄を拘束されてもいない段階での取調べであることからすれば、帰宅するために曖昧なことをそのまま述べたとの弁解にも得心することができない。また、原審公判廷で更に供述を変えた理由については、被告人は当審公判廷で、捜査段階では稟議書のコピーを見ていなかったが、その後コピーを見て、一郎の保証を稟議の条件にはできなかったことを思い出したなどというのであるが、前記二で検討したマイクロカセットテープの録音内容によれば、被告人は平成七年ころにおいても本件つなぎ融資や本件保証約定書に関しては、強い関心を持ち続けていたことが明らかである事実に徴すれば、右説明は不自然というべきであるし、また原審公判廷では右のような説明は一切していなかったのである。要するに、この点に関する被告人供述は、合理的な理由もなく、変遷を重ねているというほかない。
このようにみてくると、被告人の供述は全体として著しく信用性に乏しく、これを額面通りに受け取ることは到底できないものといわざるを得ない。
五 まとめ
以上、一ないし四において検討したところを総合すれば、原判示第一及び同第二のいずれの際にも、被告人は、自己の記憶に反することを認識しながら、「自分は、一郎に対し、本件保証約定書が過去及び将来の分も含めて全体の包括根保証を内容とするものであることにつき説明し、その上で同人が包括根保証を行う意思を有することを確認した。」旨虚偽の陳述をしたとの事実を認定した原判決に誤りはない。
その他所論に即し記録を精査し検討しても、原判決の認定に所論指摘のような事実誤認は認められず、論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 仁田陸郎 裁判官 下山保男 裁判官 角田正)